「今日告白された…」

「……は?」

 

俺はナツの言葉に、危うくカップを落としそうになった。

しかし当本人であるナツはソファに座って足をぶらぶらさせつつ、俺が淹れる紅茶とクッキーを待っている。

その表情はいつもと変わらずあどけない。

ああ、なんだ。

俺の聞き間違いか。

 

「隣の席の男の子なんだけどね。ん~どうしよう。明日会いづらいなあ」

 

「……」

哀しきかな。俺の耳は正常だったらしい。

 

「レオー。私どうすればいい?」

「…いつも通りに接すればいいんじゃないか?」

 

”明日の天気は雨なんだってー。折り畳み傘じゃ駄目かなぁ”というような気軽さで相談されたそれを、俺はマニュアルにあるような言葉で返した。

俺のような獣人達だろうがナツのような人間達であろうが、全体のほぼ半分以上は俺と同じように答えると思うのだ。

コポコポとダージリンティを注いだ2つのカップに、常温に戻したミルクを少しだけ入れる。

俺のは少し、ナツのは多く。

大きな盆にその2つを乗せ、そして大きめの皿に開けたクッキーも一緒にナツの元へと運べば、彼女は嬉しそうにそれをのぞきこんできた。

 

「今日のクッキーは何味?」

「…、お前が一番好きなハチミツさ」

 

そう答えながら少しだけくすぐったいような心情になったのは黙っておこう。

俺はナツの隣に座って、ポリポリと俺の作ったクッキーをかじる彼女を眺めることにした。

ポリポリ、ガジガジ、ゴクン。ポリポリ、ガジガジ…。

…はて、いつになったらさっきの話の続きを聞けるのだろうか。

 

「でね、今日国語の先生が…」

「おいおい、さっきの告白されたっていう話はどうした」

 

突然の話題転換に、俺はソファのひじかけについていた頬杖から自分の頭が滑り落ちそうになった。

そんな俺を見たナツは少し不機嫌そうにクッキーをガジリと噛み砕いてため息をつく。

 

「レオも恋バナが好きなの?私の友達も寄ってきて仕方なかったよ」

 

指先に着いたクッキーの粉をぺろりとなめとったナツは、自分の手のひら2つ分より大きいカップをすくい取って紅茶を飲んだ。

…いや、飲んだはいいが顔をしかめた。

 

「…レオ、また砂糖入れなかったでしょ」

「クッキーは甘めにしたからな」

「またそれー。甘いクッキーと一緒に甘い紅茶を飲んだって誰も責めやしないのに」

 

そう文句をこぼすナツだが、今までに俺が淹れた紅茶を残したことなんて一度もない。

毎日毎日、学校が終わった帰り道に寄ってきてはお茶の時間を共にしているわけだから慣れてしまったんだろう。

つまりは、それくらい長い間一緒に過ごしてきたということだ。

だがしかし、そうは言えども"近所の兄貴分である狼男"と"少し大人びている少女"という関係の上に成り立つ俺らは、それ以上でもそれ以下でもない。

きっとナツはそう思っている。…と思う。

 

「ねぇ、レオ」

「ん?」

 

俺を見上げたナツのビー玉のように澄んだ目が俺の顔を見た。

 

「私に彼氏ができたら嬉しい?」

「…そりゃ嬉しいさ」

 

俺は笑顔になりながら、絹のように柔らかい髪に手ぐしを入れる。

指先からこの思いが伝わらないでくれと、切実に願った。

似合うわけがないだろう、釣りあうわけがないだろう。

きっと数年後には、こうしている俺の姿は別の男へと変わっているんだ。

いや、この子のためにも、そうであってほしいと思う。

 

「……そう」

 

しばらくの間、自分の目に俺を映していたナツはいまだ手にしていたカップへと視線を移した。

うつむいたナツの顔が、さらりと滑った髪で見えなくなる。

 

「私は寂しいよ」

「…え?」

「彼氏と会ってる分、レオに会えなくなったら凄く寂しい」

 

その純粋な言葉に、声に、俺の胸は締め付けられた。

つねられるようなこの痛みはなんだろう。

抱きしめたいこの衝動はどうしたのだろう。

答えの出せない俺は、そっとナツの頭を自分の肩に乗せた。

 

「なあ、ナツ。赤い糸って知ってるか?」

「?うん、結ばれる運命って意味のあれでしょ?」

 

その曖昧すぎる返答に頷く。

別に赤い糸について討論するつもりなんてこれっぽっちもないのだ。

 

「お前の小指の先でつながるのは、きっと俺じゃない」

 

それは、つらく切ない現実を、自分に言い聞かせるように。

俺が獣人じゃなければ、神様この子の赤い糸とやらを繋げる相手を探すその視界に、俺も入れてくれたのだろうか。

…なんてな。

そんなわけ、ないじゃないか。

「それでも、お前が"そいつ"を連れてくるまでは、俺がお前の傍にいよう」

いつかお前が思い出した俺との時間は、せめて暖かいものであれば良いと。

今は、それまで共に過ごす兄妹のような仲でいい。

"何それ。プロポーズみたい"なんてくしゃりと笑ったナツの姿を、俺は"いつか"のために己の目へと焼き付けるのだった。

 

―・―・―・―・

 

あれから春夏秋冬が巡り巡ってやっと今日を迎えた。

どこか大人びていて、それでもどこか幼かった"少女"は"彼女"といえるくらいに成長し、今、俺の前にいる。

いつもと変わらない空の下、いつもと違う彼女の姿。

教会前にいた白いハトが、蒼い空へと飛び立って行った。

 

「ナツ」

 

俺の声に振り返った彼女の笑顔が、あの日の面影と重なる。

 

「…やっと結婚か」

「そうだね」

「こう見たらずいぶん大きくなったな」

「レオはあまり変わってないね」

 

そう言って見上げるナツの目に、いつもと違う姿の俺が映った。

 

「ずっと決めてたんだよ。好きな人ができて結婚したら、その人にいろいろな所へ連れて行ってもらおうって」

 

照れているのだろうか、微かにほおを赤らめた彼女は笑顔を浮かべたまま、"だから―…"と続ける。

 

「いつか落ち着いたら、私をレオのお気に入りの場所に連れて行ってね?」

「…あぁ」

 

"約束するよ"と、俺らは小指をからめた。

狼のそれと、人間のそれを。

 

「もう時間だ。行こうか」

 

俺はナツが頷くのを確認し、みんながいるであろう教会内と俺らのいる外を隔てる厚い扉に手を置く。

 

忘れはしない。

たしかあの日はあの場所は、空が燃えているように赤く、紅葉が散る木々の下だった。

離れる前にせめてと告げた「好きだった」という情けない俺の声、背を向けた俺に後ろから抱きついてきた彼女の少し意外だった腕力の強さ。

そしてその後、すがるように呟かれた「好き」というあきらめていた彼女の言葉も。

 

別れを覚悟していた昔の俺と、初めての想いに戸惑っていた昔のナツへ。

いくらか遠回りをしてしまったけれど、俺らは今日から新たな一歩を踏み出すから。

だから"今"は、その手を離さずにいてはくれないか。

 

さあ、今ここで、2人だけの誓いを立てよう。

「好き」なんて言葉じゃきっと足らない。

言葉にするのは最上級の「愛してる」

 

…Fin…